小さな幸せ、少しの…。

日々のつぶやきだったり、なかったり。

献血をする理由。

 会社に献血車が来ました。毎年2回やってきます。私もよほど体調が悪くない限りそのタイミングで献血します。400cc、年2回でトータル800cc。女性が献血できる最大量です。初めて献血したのは学生時代。専門学校生でした。近くに血液センターがあり、センターの会議室を貸してもらう出来事があった際、先生の「献血していけ。」の言葉で多くの生徒が初の献血を体験しました。あの出来事が無ければ今も興味はあっても実際に献血していなかったかもしれない。その後の献血人生のきっかけにもなったある意味記念日でした。もともと母が献血していたので「献血」と言うものは知っていました。過去、献血の実績があると優先して輸血が受けられた、という時代もあったようで、母は自分の親(私にとっては祖母)の手術の際、血液が不足するという自体にならないように、という気持ちもあって献血していたようです。今現在、献血をしたから優遇されるなんてことはありません。過去のこの優遇も本当の話なのかどうか。ただ、母はその話を信じていたし、かなりの回数献血していたように記憶しています。(だって血液をお金で買い取る場所もあったらしい時代の話ですから…)私が実際に献血をするようになってからはこんな怪しげな話は聞いたことがありません。それでも私は出来る間は献血を続けるでしょう。今は既に献血の針の痕が残っていてとれません。いつもほぼ同じ場所からの献血であることと、採取の針がとにかく太い。お陰でどこから採取しているのか刺し傷が治ってもわかります。ぽこっ、って痕が膨らんでますから。献血を続けていく理由。たいしたことはありませんが自分が出来る最大限のボランティアでしょうか。健康であるときは当たり前ですが、この血液がまさに「命の雫」となる人達もいるからです。自分もいつ献血ができなくなるかわかりません。怪我をして輸血をしたとか、病気にかかるとか、自分では防ぎようの無い事態で献血できなくなることだってありえます。だからこそ、献血できる間は献血しよう、と考えてます。この「命の雫」は姿形を変え、誰かの命の糧になればいい、と思います。血液そのままとして、必要な成分を濃縮して、あるいは血液製剤として…幸い、自分は献血ができます。血液の比重も申し分なく、毎回400で、とお願いされます。過去に200と400のメリットについて献血中に聞いたことがあります。おおざっぱに言うと200は献血者の身体の負担が少ない、400より抜かれることへの恐怖心が薄れるとかがあるみたいです。どちらかと言えば”献血者側のメリットが多い”でしょうか。400は輸血側のメリットが大きいみたいです。たとえば800cc必要な場合。200ccだと4名の血液が混じりますが、400ccなら2名の血液で済みます。この混じる人数が増えれば増えるほど副作用というかいろいろ不都合なことが起こる可能性が高くなるようです。続きは後ほど。